ふかふかの夜に。

本業はフリーランスのフォトグラファー。ここを日記のように使っています。誰かに見せたいものじゃなくて、自分が忘れたくない気持ちを置いとくところ。たまに写真や仕事のこと。

人として

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土曜日。

名古屋で予定していた仕事が

きゅうきょ神戸に変更に。

今日の撮影分は、9月の交通広告で

各鉄道会社の車内に貼り出される。

撮る写真に貴賎はないけど、

全国展開される案件はやっぱり嬉しいな、

ふふふ。

 

仕事は夕方で終わったから、夜は

元町で働いてる友達と食事に行った。

感じのいい店で天ぷらを食べて

スパークリングの日本酒を飲んで、

そのあとは外でクラフトビールを飲んだ。

 

...


頭にイメージがあるだけで

たぶんうまく言えないし

当たり前すぎるかもしれないけど、

「他人の優しさを受け取る姿勢」とか

「ひとを思いやる気持ち」とか、

そんなのがなかったら、

ここぞって時に生き辛いんじゃないかと

なんとなく思った。


頭がよくて知識があって

好奇心が旺盛でセンスも良くて

感受性も高くて学歴も向上心もあって

お金たくさんもってて背も高くて

一流企業に勤めててエトセトラ、

諸々が揃ってたとしても、

世間や人に絶望してしまいそうなとき、

よりどころになるものが

目に見えるものしかなかったとしたら、

追い詰められてしまうんじゃないか

なんて、ふとおもった。


「人として大切な何かが抜けてる」

って言葉をきいたことがあるけど

「だからそうゆう人とは付き合えない」

と思ってたんだけど、

そんな異性に出くわしてしまうたび、

私達は女友達と笑い合ったりもしたけど、

それ以前に、それってそのまま

「本人の生き辛さ」じゃないかな。


でも、でも、

そうゆうことだけでもたぶん幸せではない。

知らないことを知りにいくことだって

苦手なことを克服していく努力だって

そこから身につけていくバランスだって、

社会で人と生きるのなら

たぶん要るんだとおもう。たぶん。

頑張ったほうがいいとおもう。


だけど、やっぱり、そうゆう、

頑張りたいとき、

苦手なことや背伸びを求められた時、

あたらしいことに挑戦するとき、

怖気付いてつぶれそうなとき、

てんぱって泣きそうなとき、

失敗して立ち上がれないとき、

勇気を振り絞らないとすすめない時、

人は「人として大切な何か」に

助けられるんだとおもう。

自分自身のそれだったり、

他人から差し出されるそれだったり。

つらいけどなんか頑張れちゃった、

ってなるんだとおもう。

 

知らないことが多い世界はわくわくするけど

わからないことがあると、この世界は

途端に不安な場所になってしまう。

 

 

私むつかしいことはわからないし

最近も「言動が素っ頓狂」と

面と向かって言われたし、

自分でも何が言いたいのかわかんないけど、、

日記だから。これ。

たぶん、すぐ忘れそうだから記しておいた。