ふかふかの夜に。

本業はフリーランスのフォトグラファー。ここを日記のように使っています。誰かに見せたいものじゃなくて、自分が忘れたくない気持ちを置いとくところ。たまに写真や仕事のこと。

明るくさよならだ。(恋愛じゃない

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日曜日、実家へ行ってきた。


30代も半ばにさしかかってようやく認めたことは

残念だけど生まれた家庭や家族は私にとって

安心できる場所でも思いを伝えられる場所でも

なかった。


両親のことはすきだし、仲も良いほうだとおもう。

愛情も深くて、いつも味方でいてくれる。

やさしいし、たのもしい。

だから認めるのがこんなに遅くなったけど、

ここのところスッ…と腑に落ちてきた。


実家(てゆうか父親)との適応は諦めた。

帰省するたび、うきうきした振りして

どうにか楽しむぞ、と力んでたのはわたし。


自分でつくった暮らしが心地よくなってきたことと

反比例してむつかしいきもち。

裏切るような諦めるような、楽になるような

複雑なきもち。


日曜もダメだった。

父親は酔うと話ができない。

今日はなんで怒鳴られたんだろう?

と疑問を持つようになると

もう、過ごすのが苦痛なときがある。

そんな言われ方をして、哀しい。

と何度も伝えたけど、

聞く耳をもってもらえなかった。

期待するのはよして、

「哀しいけどこの人とはもう無理かもしれない」

と感じたことに、自分で耳をかたむけることにした


愛情や心配ゆえの不器用なアウトプット

だとしてもだ。

人を傷つけていい理由にはならない。

ないがしろにしていい理由にはならない。

そんなのは言い訳だし怠慢だ。何より優しくない。

怒鳴る本人が苦しく悩んでたとしてもだ。

哀しいけど、もう、こっちがもたないなあ。

なんなんだよー、親子なのに哀しいなあ。


合わない人のことが好きでもいいのだ。

嫌いになれないひとが自分とまったく合わない

人間でも良いのだ。

むりに噛みつかれに近づかなくてもいいのだ。

「怒鳴られることに疑問を持てる」

ようになったことを祝福しながら、

いまは明るくさよならだ。