ふかふかの夜に。

本業はフリーランスのフォトグラファー。ここを日記のように使っています。誰かに見せたいものじゃなくて、自分が忘れたくない気持ちを置いとくところ。たまに写真や仕事のこと。

感傷的になったのは、久しぶりに訪れたこの街のせい。


f:id:suyasuyachang:20191118131610j:image

 

堀内カラーに用があって

ものすごく久しぶりに茶屋町に行った。

 

春みたいな暖かい日差しが降りそそいで、

そこかしこで

クリスマスソングが流れてた。

 

専門学校に通っていた頃

恋人の働く会社が近くにあって、

よく、並んで歩いてた。

そんなことを思い出すと、同時に

何者でもなくて、何者かになりたくて焦ってた

当時の気持ちが不意によみがえる。

 

ぼんやりと憧れていた世界、

デザイナーとかスタイリストとか

面白そうな仕事をしてる少し年上の人たち。

力の抜けた感じで 楽しい人とつるんで、

賑やかにお洒落に暮らしてる、

そんなライフスタイルを雑誌で眺めては

憧れの未来を思い描いてた。

 

今ならわかる、憧れだった人たちは

「お洒落で楽しそう」だけの要素で

眩しく見えてたわけじゃなかった。


日々小さく変わり続ける日常は

いつだって等身大の繰り返しで。

生きるって、

かっこわるくて惨めで泥臭くて

悩んだり 怒ったり 諦めかけたりしながら

悔しい気持ちだけを動力に

泣き言とか言いながら歩きつづけるイメージ。

しゃがみ込んだり、ヤケ食いしたり、

さぼったりしながら。

 

そのことと折り合いをつけながら、

面白おかしく生きてる姿が眩しかった。

 

憧れてたような大人にはなれなかった

かもしれないけど、

15年間で私はそのことを知った。

これから知っていくことや見る景色も、

思っている以上に多いのだと思う。

 

若いとき、とても焦っていて

今や未来が ごうごうと音を立てて渦巻いて

追いつけなくて 不安で

わけわかんなくなっちゃってたとしても、

今になってみると 、その、

腐りかけの果実みたいなグジュグジュの感受性が

そのこととベソかきながら向き合ってた時間が、

なんだかキラキラと眩しいんだよな〜

 

ジタバタしてる三十代の今のことも、

六十代になった頃、愛しく眺められると

良いな。

 

腐りそうになったときは、茶屋町

また来よう。