


2026年7月7日、
今日の撮影を、クライアントさんが
組んでくれたスケジュールより少しだけ
早めに終えて、コメダ珈琲に寄って
特製ピザとミニサラダと
加糖のアイスレモンティーをほおばっている
火曜日のゆうがた。
このままうちに帰ったら、寝不足だから
すぐに寝てしまうと思ったし
おなかもすこし空いてた。
やらなきゃいけない仕事はいくつかある。
コメダ珈琲店には電源があって、Wi-Fiを
使わせてもらえる。ひともいて、寝ないで済む。
「傘さす惑星」のことばかり書いていた
6月をふりかえると、意外としごとも
いそがしくさせてもらえてありがたいなあと
思ってばかり。
さいきん、ずっと、すべてのことに
ありがとうの気持ちしかもてなくなっていて
逆に大丈夫か?と思ってる。
ほかの感受性が旅にでてる。帰っておいで、
孤独も怒りもかなしみも、すきだよー
6月は仕事で高知や淡路島や和歌山や
天川村や亀岡に行った。
高知では大阪から移転した西條さんの
コーヒー屋に立ち寄れたし、天川村では
信じられないほど美味しいジェラートを
食べた。
取材で伺った、大阪にある素敵なお店では
すてきな花器を選んだ。
亀岡で初めての方とお仕事をして、
その夕方は一緒に風にあたって日没を
待ったりした。すべての出来事や風景や人間に
ありがとうって思う。ほらまただ。
ところで昨夜は、よく知ってるものの
はずなのに、いつも忘れてさがしてる、
って感じを久しぶりに味わっていた。
昨日の午前中、撮影のクライアントさんとして
知り合った方から、その関係をぬきにして
彼女が編集をするある雑誌の創刊号のためにと
個人的に取材をうける機会をいただいた。
自分や写真のことにあらためてしっかり
耳を傾けてもらう日が来るなんて
かなり恐れ入る状況だったけど、
皆が帰ったあとになんだかいろんな気持ちに
なって、最終的に、夜中になったら
写真にただいま、と呟いていた。
10代の頃つくってたカラーコピーの本をひとつ、
昨夜、やっとめくることができた。
私は6月にそれを人に向けて展示していたくせに
自分では20年たっても一切見れてなかった。
ぐしゃっとつぶれてしまいそうだった。
あるページで手がとまった。
「あらゆる可能性を考えてしまうけど、
すぐ見えなくなりそうな
たったひとつのことが気掛かりで、
自分は一体どれ程の用事があって
今までハッとしなかったんだろう。
タンタンと流れるリズムに一瞬タンッと
音がする。高すぎたり低すぎたり。
そのタンッがききたいから電車にのったんだ、
いつだってそう。
最初の目的が最後の目的とつながって
環状線より大きいわになった。」
と、書かれてあった。
ほんとだな、と思った。
自分は一体どれ程の用事があって、
自分の写真をないがしろにしてきたんだろう、
撮ることも、見返すことも、
それに時間を使うこともなく。
思いかけて、でも、すぐに思い直した。
ちがう、ちがう、
それほどの用事があったんだよう。
知らない写真の撮り方、興味もない商業写真、
苦手なのに好きにもなれないのに、
なぜか辞めないでしがみついてきた「仕事」
としての写真は、それほどの用事、
だったんだよう。
時間はかかったけど、それ程の用事に
しがみついて出会って関わって
いまそばにいてくれるひとが、
クライアントとフォトグラファーという
関係をそっと優しく傍らに半日放りなげ、
昨日は取材をしてくれた。そのおかげで、
昨夜わたしは、仕事をはじめるより前の
写真の世界の中に、本格的に帰った。
彼女のインタビューは取材の域を超えて
あまりに肯定的にわたしの話をきいてくれた。
いろんなことを受け止めてくれた。
ありがたかった。
だからその夜、心がのこのこそこに帰って、
もう死ぬまでここにいる、と言うのをきいた。
心はきっと、朝の取材をじっときいていた。
仕事の写真にしがみついてきたおかげで、
最初の目的が最後の目的とつながって
環状線より大きいわになった。
環状線どころか今は惑星のわっかくらい
大きく育って、夜空を漂っている。
写真にただいま、と呟いて、
取材のお礼にと選ばせていただいた
キャンドルに火をつけて眺めた。
炎でゆらゆらとドラえもんの頬の青色も
ゆれていた。
22年前の私はどんな気分でこれを書いて
いたんだろう。40代になった私は
18歳か19歳のわたしに昨夜ハッキリと
救われた。七夕の、前の日の夜。
そんなことを考えていたら、ほぼ同時に、
コバトさんがインスタにあげていた
言葉をみつけて、似たようなことを同じような
時間に考えていたような気がして、
おもわず傘さす惑星のグループラインに
そのことを送った。
コバトさんがあげていたのは、
「大事なことは大体うしろに伸びやかに仕舞われている。
表の喧騒こそが現実みたいな顔してるけどそちらはすぐ消えていくのだ。
つまり、現実はだいたい幻で、
幻は結構現実なのだ。穏やかな」
だった。
「近いと思います、多分」とコバトさんは言って
「多分、ほんとの現実は美しい」とも
付け加えた。
「願いごとってさ、もし叶ったらどのくらいの
確率で幸せになるんだろうね。」と
七夕について、コバトさんは書いていて、
林さんは
「たなぼた くらいがちょうどいいな、ぼく。」と言っていて、全部がみんなが、らしくて
嬉しいなと思った。
わたしは、1日早いけど七夕のねがいごとが
叶ったような気持ちでビールを飲んで寝た。
ずっと願い続けていた、写真についての
ねがいごと。
もし今夜が七夕の本番なら、よくばって
写真じゃないことで叶ってほしいことが
ひとつある。
ここ数日でそっと光る輪郭をもち始めた、
それこそ、もし叶ったらどのくらいの確率で
幸せになるのかわからないようなこと。
7月になっても傘さす惑星のことばかり
書いてる。もう日常になってしまったのだ多分、
感覚の事実が行き交うここで、馴れ合わず
「もうここにいることにする」と
ふにゃふにゃと呟いている。
でもいまは、仕事のこともだいすきになった


























