





2026年6月8日、雨の日曜日、
自分のスタジオを展示場所にした、土日だけオープンする展示「傘さす惑星」の1週目を終えた。
このスタジオを借りて6年ちょっと、普段は明るい仕事場だけど、コバトさんの詩と私の写真が、林さんの手で額装になってスタジオに並べられて「光る、漂う、優しくてすこし寂しい」この場所のそんな一面が見えた気がした。
土曜日は10時から22時、1人で在廊した。朝いちばんに遠方からの友達や、久しぶりに会う友達が来てくれた。
このブログを読んでくださっていた方が会いに来てくれて、ぽつぽつと沢山お話をした。初対面だけど心地がよくて、たくさん話しかけてしまった…少し反省しそうになるけど行こうと思ってくれたこと、じっさい靴を履いて玄関をでてきてくださったこと、とても嬉しかった。
クライアントさんがプライベートで来て、以前から手元に置いてくれている私の「ポートランド日記」を鞄からとりだして、好きな箇所にふせんを貼ってるんです、と教えてくれた。
22時のしめるまぎわ、友達が来て、今日は1日寝ていたと教えてくれた。エトセトラ、
日曜日は7時から17時、コバトさんと林さんもいてくれてほぼ3人で在廊した。ひとりひとりのことは書ききれないけど沢山のひとが来て、テーブルを囲んでお喋りをした。お茶をおかわりしながらキャロットケーキを食べたり、写真や詩や個人的な話をした。
ぜんぶの映像や時間、生まれる物語ひとつひとつ、思い出すたび、ぎゅっとなる。長居しちゃったと言ってくれる人が何人かいてその言葉はわたしを励ましてくれた。6年前、迷いながらも背伸びしながらもここを借りることをきめてよかったと思えた。おどろいたことにこのブログをまとめた日記本を購入してくれる方も何人かいた。
2日間の在廊を夕方で終えて林さんコバトさんとさよならして、寝不足のまま車で高知まで移動してきた。夜中にホテルにチェックインしてシャワーを浴びて、ねておきて今、朝食バイキングの会場で食後のコーヒーを飲んでいる。
今日は月曜日で、これから高知で撮影をする。引き続き寝不足で、これをかきつけている。
週末を傘さす惑星で過ごしたわたしは、平日地球での日常にもどるけど、惑星での出来事の前と後では写真との関係の深度が深まるんだろうと感じる。写真との深度とは私にとっては生きることそのもの。
だからえっとつまり、本気を出す対象がもういちど(ヘタしたら初めて)、はっきりと輪郭を持ってくれたということなんだと思う。それで、それはしぬほど幸運なこと。
話がほんの少しだけ飛ぶけど、昨日きかせてくれたコバトさんのスタンドFM「ぼくなりのラジオ」の最新の配信もそう思わせてくれた。
コバトさんは自分ひとりの覚悟や本気を笑いにかえながらラップにのせて歌っていただけなんだけど、笑いからはみ出したそれは凄味を帯びていた。笑いに乗っていたから更に怖かった。
1度目、在廊中に公開したてのそれを3人できいたときはゲラゲラ笑ったけど、ひっかかって、夜に高速道路でひとり2度目をきいた。今度は取りこぼさぬように言葉を追いかけた。あんまり笑えなかった。
私がひとりぼっちのあの場所で撮っていた写真を一緒にみてくれる仲間のようなものができて、これからもひとりでザブザブ撮ったらいい。「本当にやりたいことだから枯渇しない」と林さんとコバトさんが話してるのを隣で聞いて、確かにこれは枯渇しない、と思ってた。枯渇どころか、追いかけたら追いかけるほど時間が足りなくなるんじゃないか。ほんとのことってそうじゃないのか、ひとりぼっちで立つ惑星を持ってたのは自分だけじゃなかったと知らせてくれたし、だからいつももう迷わないで写真のことを生の真ん中に置いて祝福されるってこと、たぶん。あっえと、自分が祝福してあげようってつられて思えたって感じか。そこはたぶんすんなり追いかけて問題ない。
これは良いものだ、と林さんが作品のことを第三者に話してくれるたびにいまだに内心ギョッとするけど、でも去年から、ひとりで立てるように、というか、ずっとひとりで立っていたんですね、と肯定するように立ち振舞ってくれてたんだとも気づいた。言葉でそう言うのは簡単だけど言わないで、能動的に気づけるように気長に働きかけてくれてたんだと思う、それは依存じゃなくて独立と感じる。タイミングは作ったり掴むものだと思ってたけど、まるでそれを待ってくれてるような去年からの仕草と時間だった。
今回の傘さす惑星は6月いっぱい続きます。