ふかふかの夜に。

本業はフリーランスのフォトグラファー。ここを日記のように使っています。誰かに見せたいものじゃなくて、自分が忘れたくない気持ちを置いとくところ。たまに写真や仕事のこと。

憧ればいばい

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なんか、うまく言えないけど、

どこか見えないところに、

物として残らないところに

のこしておかないといけないような気がして

出してしまわないと困るような気がして。

意味がわからなくなったとしても。

 

さいきんの体調不良は

準備だったんじゃないかと思った。

色々なものを捨て続けたここ数年の

最後のいらないものを捨てることに

力を使い切って燃え尽きたような。

 

去年 、十一月の中頃、

憧れだったものを手に入れた。

自分の行動で手に入れられたことが

めちゃくちゃ嬉しくて死ぬほどはしゃいだし、

人生で最高の3日間だと思った。

 

欲しいものはこちらから動かないと

誰もくれないと思い知ったし、

それはなんて満たされることなんだと驚いた。

無理矢理機会を作ったりとか、

自分を削るのとは違う方法で。

 

2ヶ月間くらいはその幸せが

大きくなりながらつづいていったけど、

そのうち眠くて仕方なくて困り果てた。

それで何故か断捨離をした。

 

捨てて、捨てて、

今の自分には何が不要で、何が必要で、

何がほしくて、何からはなれたくて、

何が残ってどこに向かいたいのか、

わからなくて捨てまくった。腐ってたけど

これ以上は腐りたくなかった。

 

結果、暮らしはとても良くなって

自分の部屋も好きになったけど

体調は悪いままで、

 

二月の真ん中、

久しぶりに立ち直れないと思うほど

ショックなことがあって

きょう、出張先の横浜のホテルで

仕事をしながら思い至った。

それまではつよがってるのを自覚しながら

怒りや悲しさや切なさを感じてたけど、

心底、これこれむしろよかったんですね

となった。

 

けっきょく、憧れだったものに対して

わたしいま、違う感覚じゃないかなあと

気づいた。

15年もあんなに憧れてたのに、

そのためになんでも頑張れてたのに。

 

「十五年の憧れ」というのろいを放るのに

3ヶ月の時間が必要だった。

 

憧れに近づくことにゴーサインを出せたのは

仕事を十年して独立したという

自分の変化がおおきくて、

そこまではとても自覚してた。

 

その変化で手に入れた幸せは

私のひとつの証明でご褒美で、

これからも続くとおもってたし、

育つと思ってた。

 

そのためならなんだってしたい私が

当たり前なんだと思い込んでた。

それは今も憧れの対象なのか、

今の私にとってはどうなのか。

そばでみて、ふれて、ちがった。

 

ああ今はもう要らない、

もう、ぜんぜん要らないものだった。

次に行ける。清々しい。

 

ばいばい憧れ。