木曜日のクライアントさん。
夕方からの立ち合い撮影で、スタジオに
さきに到着したディレクターさんから
「今から来るクライアントさん、元々
カメラマンだよ」
と聞いて、うわやりづらそう。と思ってたら
シュッとしてて背が高くてハンサムで
日焼けしたナイスミドルが登場して、
想像以上にやりづらすぎる。
と思ってたら、撮影を黙々とサポートしてくれ
撮影後に数人で飲みにいった先のカウンターで
「写真をとる人って、慶應大学の文学部の人
が多いの、どうしてなんですかね、」
と話しかけられた。
え、初めて聞いたし着眼点そこ?
き、きになる。
その後もずっと、その人の言葉はとても
つたなくて。
うーん、うーん、といちいち時間をかけて
大真面目に単語を選ぶんだけど、
いつも話がどこにも着地しなくて。
でも大切なことを伝えようとしてくれていて
素敵だった。写真の話だけをした。
きれいな景色があるでしょう、それを、
目の前でどの自分で…うう〜ん
…とかやってる間に、
話を別の人に遮られたら、もう話してくれなくて。
そのセンテンスは永遠に終わってしまって。
私は何度も
「話を!遮らないで!この人の話をさえぎらないで、もったいない…」と思ったし、
聞き返しても、きっともう答えてくれない。
ナイスミドルも、簡単にあきらめないで。
こうゆう風に発せられる
言葉のひとつひとつがわたしは一番好きだな、
と思ってビールやワインを飲んで
次の言葉を待ちわびながらわくわくした。
そうゆうのって伝染するようで、
きっと私も熱をもって言葉を少なくして
彼に話しかけていたし、
うん、うん、と一生懸命聞き合ったと思う。
初対面の私達は自己紹介なんかもすっ飛ばし
写真の話だけをしてた。
写真論や自分論を饒舌に語りだす人は
個人的に苦手で近づけないけど
蔑ろにできない小さな炎を持ち
世間と折り合いをつけながら社会で働いて、
炎、消えると哀しいから
人知れず守ろうとしているんだけども、
それでもその揺らぎが隠れ切らずに
その人から少しはみ出て見えちゃったとき
ありがとうございます、と思う。
当然、こちらの勝手な解釈なのだけど、、
「僕の奥さんも写真撮ってて、
写真新世紀をとったりしたんだけど
子供がうまれたら、子供くらいしか、
撮らなくなっちゃった」
と仰ったので、
「写真以外の大切なものを見つけて
撮る必要がなくなったのなら羨ましい気もします」
と言ったら、
ああ、そう、その通りですよね、うん、
そうです。そう、と、何度も頷いてくれた。
そうゆう風だと、
東京の方が向いてるのかもしれませんね、
とすごく小さな声で付け足してもくれた。
..
最近の備忘、ただの記録
月曜日の夜は
美人なお姉さん2人と台湾料理を食べた。
火曜日は夕方から撮影をして、
水曜日は、なんというか、、
撮影の合間にランチ交流会…
断ったけど断り切れず伺ったものの
やはりなんだか違うな、
ていうかこれはダメかも…
となってしまって「名刺切れちゃってて、」
とやり過ごしながら、ステーキやサラダや
皮のまま食べられるぶどうに集中した。
ダメだった。
すこし哀しくなったし、こうゆう空気って
何だろう、と思った。
木曜日は、インテリア撮影の続きをして、
夕方から腕時計のブツどり。
夜は知り合いの家具屋さんの
ワインパーティーに顔を出した。
そのあと、アメ村の別の会に合流。
夜、家に帰るとテーブルに紫陽花が飾られていた