ふかふかの夜に。

本業はフリーランスのフォトグラファー。ここを日記のように使っています。誰かに見せたいものじゃなくて、自分が忘れたくない気持ちを置いとくところ。たまに写真や仕事のこと。

短い日記

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9月10日


自分が享受してなかっただけで、

世界はずっと今日みたいに優しかったのかも

とか思いながら

下北沢でクロワッサン齧ってる。

昨日20年ぶりの再会があってなんとなく

そう思った。

 


..

 


数日前、大阪で、夜風がきもちよくて、

昨日から秋が始まったねえとか、

ちょうどそれ21時半頃同じこと思ってたとか、

そんな感じでお喋りしながら

外でビール飲んでたの、なんでもなさすぎて

すごいよかったなあ

 

 

週末の日記

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f:id:suyasuyachang:20230904132512j:image9月2日、土曜日。

久しぶりの日記をかきつけたあと、

夕方から天六のカフェ ボンボヤージュさんへ。

アーティストのミヤザキさんを囲んでお話をきく

小さな会に参加しました。

ボンボヤージュさんの店内に飾られた

赤いチューリップの絵、ミヤザキさんの絵です。

初対面の面々がテーブルを均等に囲んで

彼女の話をききながら、

自然と自分の話もし始める。

そんな優しいテーブルでした。

どんな風に生きていこう、

実はまだ自分はこの場所にいて悩んでいる、

わからない。あなたはどう思う?

悪意の入る余地のない心地よい時間でした。

 

【どこのオンラインにものらないセッション

だけど立ち上がってくるものもある

それを実感させてくれる場でした 

〈Salon de Bon Voyage〉

まさしく〈よい旅を〉って

言いあえるようなサロン

アートに生きるひとがいること

その光を感じられることがぼくの希望だ

だからこそその光をみていたいのです】

 

そこにいた林さんが、SNSで上のような言葉に

してくれていました。

 

自分にぴったり寄り添う小さな集まりに

参加させてもらえたこと、ありがたかったです。

ずっと、幸福でした。

次のゲストにと声をかけてもらったけど

もっと作品を発信してから出直させて

くださいとお伝えしました。

がんばります。

..

9月3日、姪2人と一緒に靭公園で写真を撮って

ハンバーガーを食べた日曜日。

晴れてて、暑くて、朗らかな日。

悩んでたことも少しどうでも良くなって、

噴水を眺めながら、そんな瞬間があることに

救われた気持ちになった。

 

夕方から、長いこと行ってみたかった

池田のGULIGULIさんへ。

カフェも空間もインテリアもお庭も

素晴らしくって、またゆっくり伺いたい。

 

 

 

この夏のまとめ的な

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2023年9月2日

9月だ。土曜日。

6月の下旬あたりから今日まで、

ちょっと心ここにあらずで生活していました。

そろそろまたここで日記つけたいなと思いました。

目に見えて大きな出来事があったわけじゃないけど、

以前から顔見知りだった人とお喋りを始めたら

なんだか止まらなくなって

7月が来て8月が来て9月が来て..

気づいたらもうずっと長いこと話し込んでいた。

そんな2ヶ月間でした。

寝る間も惜しんで、時には仕事する間さえ惜しんで

それはもう四六時中。

ちょっとこれは良くないかもしれないけど

抗っても無駄、そうゆう時間でした。

弱点と思う部分をじゅうぶん理解した上で

それを言葉と態度の両方を使って、都度、

肯定してくれる人がいてくれるということは

なんと心強いものなのかと知りました。

大人になってから親友ができました◯

秋の始まりを感じて少し落ち着きを

取り戻してきたのでした。

..

この夏は出張もよく行かせてもらいました。

展示もさせていただきました。

7月、長野県の上田市へ「こっぱ人形」の取材へ。

滞在中にクライアントさんと立ち寄った

尾澤木彫美術館がほんとうに素晴らしかった。

館主が世界45カ国を旅して集められた

木彫りの(お土産)人形たち。

館主である彫刻家の尾澤さんが

「農民美術」についてたくさん教えてくれました

尾澤さんの少年のような態度が本当に素敵で

ここまた行きたいな、と思っています。

 

同じ月に、料理家の飛田和緒さんの

連載の撮影でご自宅のある葉山へ。

気づいたら連載は6年目になっていて、

来年の書籍化が決まりました。嬉しいです。

彼女は、私の一番憧れの方です。

ありがたいです。

 

ポートランドでお世話になった杏子さんが

帰国されていたので、ご実家の弓削牧場さんに

みんなで遊びに行きました。

不思議な縁で、20年をかけて繋がって

輪になった面々。

テーブルを囲んで美味しい料理を囲む

美しい食卓でした。

 

8月の初め、大阪の喫茶路地さんで

展示をさせていただきました。

シルクスクリーン作家の奥田澪さんと一緒でした。

彼女は最近、デザイナーとして働いていた

会社を退職して、作家としての人生に

舵を切りはじめました。

かっこいいと思います。少し悔しくもあり、

私も。とも思っています。

そのことについてもお喋りができて

幸福な時間でした。

私は繊細で才能に満ちた彼女と、

彼女の作品が大好きです。

 

8月の中旬には出張で宮崎に行きました。

高千穂に立ち寄って、夜神楽を見て、

雨に降られました。

 

下旬にはレシピ本の撮影で名古屋に行きました。

3日間キッチンスタジオを貸し切っての撮影、

こちらは11月に発売予定です。嬉しい。


..


溜まったキャッシュを消すように

雑に打ち込みましたが、

日々のディティールが、この夏はもう

ほんとうにたくさんありました。

 

そうゆうこと、忘れてしまわないように、

安心して忘れてしまえるように、

もう一度書きつけていこうと思います。

動揺してたんだな。いつもですが。


最近はポートランドでつけていた日記と写真を

zineにしようと編集を始めています。

今年から来年にかけて、

いくつかの場所で展示をしようと考えています。

美しかった旅先のような夜

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7月18日、スマホのメモに残ってた少し前の日記。

最近、出張や旅行がたてこんでいた。

島根、長野、愛媛、淡路島。

機材のこともあってぜんぶ車で移動をしていて、ヒィヒィいいながらそれなりに忙しくさせてもらってたけど、不思議なことに日々の感動とは、遠くに行くとか初めての景色を見るとか、そうゆう刺激には反応しないんだなと感じる。

いつも感動できる自分でありたいと思ってるけど、心が揺さぶられる体験というのは自分の状態が影響するんだと思う。

ビニール傘にあたる雨の音をききながらシンとして歩く見知った道のほうが、今の私を満たす…みたいな話はどうでもよくて

昨夜、天六のボンボヤージュさんという店に打ち合わせに伺った。

2月から5月の渡米中に私はその場所のインスタアカウントを見つけて、空間の美しさに驚いてどうなってるんだここは…と眺めてた。

帰国後、偶然その場所の近くで撮影があって、帰りにその店の扉をひらくと、なんということか間髪入れず店主さんが「もしかしてポートランドいってらした方ですか?」と話しかけてくれた。

そのまま、空間好きが高じてこの店を作ってしまったという、建築畑ご出身の超感覚人間であろうその店主と「やりたい表現とお客さんの喜ぶことのバランスをとることのむつかしさ」について2時間ほどお喋りをしておいとました。

その辺りはもう、経験や体験にもよるし個人が目指す場所の在り方や生きたい世界や空気、どんな人と関わりたいエトセトラ…ひとつの正解はなくて諸説あるとおもってる。

とにかく初対面をそんな風に熱めに済ませて、数日後にいただいたDMが

「直感なのですが、店の今後についてご相談したく…」

超感覚人間!でも直感で選んでもらえること、なぜだろうとてもうれしい。尊い気持ち。

ともあれ、店主さん、スタイリスト丹羽さん、アトリエインカーブの林さんと一緒に閉店後の会議を。

会議の内容は、現実のことなので公式から追々。現実や出来事に興味が持てない癖が、さいきん再発・重症化しています。 そしてそう遠くない未来に私はそこで写真の展示をさせてもらうことになるのだけど、それに至った対話のテーブルが本当にとてもよかった。

テーブルの質感も、大きさも、各々が持ち寄ったものも。ものさしを感覚に持ってこられることの美しさを目の当たりにして、がんばってきてよかったなと思った。

自分がえらんでやってきた仕事で知り合った人たちと、親密な空気でもって表現としての写真や生きることの話をさせてもらえる時、とても幸福だと感じる。

とてもすてきな空間を作られる林さんは、展示にこだわりはあるかと問うてくれたので、撮る以上のことを私がしてしまうとおもいがこもりすぎてしまうから展示は人まかせでも良いくらい…みたいなことをウンウンきいてくれたし、本とサンドイッチとか、詩のこととか、たくさんお喋りさせてもらっちゃったなという気持ち。

A面のこともB面のことも混じりあってくれるといい。

今はこの世界がすきだとおもう。

 

ひらく

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あの日々が幻になる前に。

夕方マンションの駐車場に車を停めて

エントランスに向かう道中の

こんもりとした木と街灯を見上げてたら

その言葉が頭をよぎった。

 

最近、人知れずな爆発が頭の中で

起こり続けてて

ちょっと現実どころじゃなくなってる。

自分をとり巻く人間関係とか空気とか、

言葉がかわっていってる。

いくつかのあたらしい関係は

とうとう同じ方角から音もなく近づいてきては

次々と始まったり、

知っていた人がとうとつにその方角に

人生の舵をきりだしてギョッとしたり、

目の前にシンボルのような人が現れたり。

一見静かなことほど恐ろしく確かだったりする。

 

たぶんポートランドに行ったことが関係ある。

あそこで大きく壊されたり培われたりした

私の変化や価値観が色んなものを

放り投げてるんじゃないのかなあ。 

 

むしろ現実はいつもにもまして

とても静かで穏やかなのに、まるで、

むしろ、日常の延長としてこちらが本道だと

言わんばかりの存在感で威勢よく

ボンボンと爆発してる。

 

あの日々が幻になる前にと最初おもって、

ああちがう「この日々が幻になる前にだ、」と

思い直した。

 

間違えて置いてきた宿題を

やり直してるような気持ち。

生きることに対する姿勢、

つまり自分にとっては写真との関わり方を

問われてるような不思議な時間を過ごしてる。

とても個人的なこと。

 

透明の膜で覆われたまるい空間の中に

いるような時間を過ごしてる。

今は焦ることができなくて

その中から外を見つめたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真のこと、行き来について

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7月17日

ちょっとその木陰でそのことについて考えよう、

8人で一泊旅行に訪れていた淡路島で、ひとりで朝の漁港を散歩しながらそんな風に思った。まだ人がいない海沿いの小さな病院の駐車場、花壇に腰掛けた。蝉がないてた。

誰かのことをつよくおもってみたかった、そのことに気づいたのはとても最近のこと。とても個人的な自分を知って欲しいという情熱に似てる。

カメラを手に取った十代の頃「ひとりで沈んでいく音のない底」みたいな場所を私は持っていて、いつでもそこに行くことができた。そこは音もなく冷んやりとしていて居心地がよかったし、どこで誰と何をしていてもすぐに降りて行くことができた。

真夏の朝は蝉の声をききながら静寂を感じていたし、雨の日は救われた気持ちになった。わからないことがおおくて、世界は不確かで怖い場所だったけどそんな時はそこでじっとして過ごした。

きっと写真そのものだった。

 

おとなになってそれを仕事にし始めると、まわりにひとがふえて、みんながあの場所を持っているわけではないとも知っていった。

世界は鋭角と鈍角では計れないし、とんがった丸や前のめりの点は存在しないと知っていった。みんなとの世界で過ごす時間がふえた。

そのことについて誰かに言葉で話せるようになったのはさらにごく最近になってから。

自分で選べる、急かされない、どこまでも行ける予感。私にとって写真だけが本当で、ほとんどそれがあるから生きてたけど、あのままひとりでいるのはきっとよくなかった。孤独と孤立はちがう。

いまは周りにひとがいて、私はあの場所を知っていて憶えていて、懐かしんでいてまた行きたいと思ってる。でも、もう住み着いたりはしないのかもしれない。ポートランドのように。

何かコツのようなものを掴んだら、選ばないといけないと思ってた2つの場所を自由に行き来できるのかもしれない。地に足をつけすぎずにこの世界で生きていきたいとおもう。ちょっと遠くに来すぎた気持ち。

いつか詩人が言ってた「詩をかくことは現実とのかねあい」ということばは素敵だった。地に足がつきすぎてると感じる時、いつもそれを思い出す。

 

そこまで考えて、みんなで朝ごはん食べるから宿に戻ろう、と思った。真夏で、暑くて、雲ひとつない青空だった。静寂を感じてた。

今は目の前に、朝ごはん食べようと笑ってくれる人たちがいる。

物理的にも気分的にも、二拠点生活について考えたい。あらゆる行き来のことについて考えたい。どこにいても、自分で選べる、急かされない、どこまでも行ける予感、それをなくさないで今なら暮らせるのかもしれない。鋭角や鈍角でものごとを測って、とんがった丸や前のめりの点を、今なら冷静に、情熱をもって眺められるかもしれない。選ばないといけないと思ってた価値観さえ無くなっていくのかもしれない。

今も小さな行き来を繰り返してる。また写真とりたい。

最近、そうゆうことを考えざるをえない、人との関わり方が盛んに起こっていて、含蓄なタイミングで出会ったもんだななんて愛しむ気持ちで眺めてる。

もっと若い頃なら、取り乱してしがみついてたかも、とも思って、シンプルにこれは成長だ、と現状を結論づけて少し泣きながら笑ってる。

アラフォーになってもこんな心が残ってるのかー

ふかふか

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6月14日、水曜日。

なんだか、たった3ヶ月ポートランド

暮らしてみただけで、全ての毒や棘がなくなって

しまいました。

不安や焦燥感が身を潜めて、

毎日幸せだなと感じて暮らしています。

 

どうして20代の時に東京いかなかったんだ

とか今すぐ海外に移住したいとか、

こんな仕事がしたいとかすごいって思って

もらいたいとか色んなことに手を出したいとか

沢山のことを後悔してメソメソする時間や

他人との比較エトセトラ、

なんにもなくなってしまいました。

とても楽です。

今あるものに満ちることが悪だと思っていた、

不憫な自分がなくなりました。

そうなると、写真も日記もなんだか

要らないような気になってきて、

すごいものだなあと思っています。

現地のポートランダー達はいつも私の話を

聞いてたくさん関わってくれて、

どうやって生きていこう、といつでもいつまでも

話し合ってくれました。

選択肢の幅は500倍も広くて、

価値観を一新させてくれました。

以前は、仕事をする時間はプライベートの

時間より意味があると思っていました。

仕事をたくさんすれば経験もふえるし

良いものがつくれると。今はちがいます。

クリエイティブなものをつくる人は

きっと、自然の中で過ごしたり

好きな人と料理をしたり何もしなかったり、

そうゆう時間をしっかり過ごしてるのでは?

と感じます。

あと、年のせいもきっとあります。

20代でポートランドへ行っても

たぶん退屈でした。

仕事中毒でカラカラになったボロ雑巾

みたいな状態で行ったから、

インプットできることが多かったです。

私は以前、何よりも写真の仕事を大切に

していたし、大切にするとはどれだけ時間を

かけたかなんだと思っていたけど、

今は別のことにも興味が出てきました。

いちどやめたっていいし、

また始めるとしたらそこからまた

始めれば良いとも思っています。

ポートランドへ行くことは

自分の生存確率を上げる選択。

その通りになりました。やっと思えました、

生きていてよかったです。

 

..


一昨日福岡で撮影をご一緒した

ディレクターさんも、

昨日、新しいレシピ本の仕事をくださった

編集者さんも、今日大阪で打ち合わせをした

デザイナーさんも、みんな

島田さんが帰ってくるのを待っていました。

と言ってくれました。つづけて、

もう、帰ってこないんじゃないかとも

思っていました、とも。全員が言いました。

焦りが見えていたのかもしれません。


また一緒に仕事をさせてもらえることは

もちろん当たり前のことじゃありません。

もう帰ってこないかと思ってた、は

本当にたくさんの人に言われました。

それなのに待っていてくれたこと、

今、無駄なものが少し削ぎ落とされて

前よりもっと良い仕事ができると思います。

がんばりたいです。