ふかふかの夜に。

本業はフリーランスのフォトグラファー。ここを日記のように使っています。誰かに見せたいものじゃなくて、自分が忘れたくない気持ちを置いとくところ。たまに写真や仕事のこと。

頭に浮かんだことをつらつらと書いただけの要点を得ない長いメモ。

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車道脇の街路樹に差し込む鋭い冬の夕陽、

放課後ガードレールに腰掛ける制服姿の友達、

スタバのテラス席のテーブルの携帯に映り込む

イルミネーション。

 

十代のころ、世界は、生きるのが辛くなるほど

美しすぎて言葉にできなかった。

 

処理しきれない感動を写真に撮っては

体の外へ放り出した。

 

日常の、タンタンと流れるリズムに

一瞬タンっと音がする。

それはとんがったまるや

前のめりの点のような形をしていて、

世界はいつも、

いろいろな要素が奇跡のように絡み合っていた。

 

きこえない音をきこうとして、

目に見えないものを見に行こうとする日々は

たまらなく幸福で、それが写真にうつると信じてた。

 

 

どんなに賑やかな場所にいても、

ファインダーをのぞくと音も消えて、

息を潜め、いつも、ひとりぼっちになった。

 

 

カメラをぶらさげて登校してたら、オジサンみたい

と言われたこともあったし、

そうゆうのが流行ってくると、同じ友達が

写真展したりしてお洒落だね、

なんて言ってきたけど、どっちのときも、

ちがうちがう、

これがないと生きられないんだよう、と思った。

でも何を言われても平気だった。

その程度のものじゃなくなってた。

 

 

そのころのわたしは、

日々の選択には鋭角と鈍角があって

自分は鋭角をえらぶ性格なんだと思ってた。

 

鋭角をえらぶのがA案、鈍角がB案だとして、

この先誰かと付き合って、A案でもB案でもない

C案を選ぶようになったらその人と結婚したいな、

と、なんとなく思ってた。

 

 

美しすぎる世界と鋭角は、

とても常に若い自分の中にいた。

 

 

浮き足立ったわたしは

そんなことばかり考えていたから就職活動もせず

成り行きでカメラマンになって

 

「この世界には、とんがったまるや

前のめりの点なんて存在しないよ」と

 

上司や世間に教えてもらって

そんなものか、

と思いながら仕事をつづけた。

 

 

同じように、日々の選択は角度では測れなくて

できることやできないこと、

したいことやしたくないことの狭間で

取捨選択する術をなくしていった。

 

 

すると世界はそんなに美しくなくなって、

忙しくしてたわたしは

そのことについて考えるために

隙を見つけては夜行バスで東京に行って、

ひとり渋谷のドトールでコーヒーを飲んだりした。

 

自分にとって意味のある特別な場所だった。

 

腐りかけの果実のように

甘くグジュグジュの感受性を剥き出しにして

自分と向き合った日々を懐かしく思っては

もうあそこには帰れないのかな、

と夜の東京タワーを眺めながら

泣きたい気持ちと

そこにいることの少しの興奮に

打ちひしがれていた。

 

それらの考え方がただの気休めでもいい。

 

30代になって、やっぱりわたしは

世界をそんなふうにしか見られないし、

選択方法だって恋愛観だって、

その考え方が自分には理解しやすかったと

思いなおした。

 

あのうつくしい世界でもういちど過ごしたいと思った。

 

何の意味があったんだと言いたくなるような出来事の

連続で過ぎ去った20代は、

またそこに戻ってくるための10年間だったといっても過言じゃない。

 

わからなくなりながらも、

なぜか、辞めちゃだめだと写真の仕事に

しがみついてきた自分、

今、また前いた場所に向かおうとする自分、

どちらもきっと正しい。

哀しくない正解だってある。

 

今でも変わらず世界はタンタンと音がするし

毎日は鈍角と鋭角の連続で。

ただ、付き合う相手で

選択肢を変えるという素敵な考えは

若かったなあと眩しく思った。

 

今は自分の力で

C案を選びとろうとしてる。

 

それはけっきょく夢見ていたような人には

巡り会えなかったということかもしれないけど、

何人かと出会って関わって、付き合って、

それはひとつの出来事に過ぎなくて。

総じて、今を、

世界の見方を一度否定したことの賜物であると信じたい。

 

生きる手段としての写真が見えなくなると

すべてのことの意味がわからなくなるけど、

だけど、写真で社会に必要とされないことには

ふわふわとしたわたしのこの浮足では

世間から孤立してしまって

きっともっとわからなくなる。

 

仕事と自分の写真を繋げたいと思うことは

両方の世界を繋げたいという感覚だと思った。

 

忙しくしてて忘れそうになっても、

あの頃夢中に世界を追いかけた時間は

ここにもある。

 

写真は詩のようで、鮮度がある。

どれだけ遠くに来ても拠って立つ場所は

ここで、わたしはここにいる。

うつくしいこの世界で

カメラひとつあればいい。

 

せめて写真だけは、

そこがやさしい場所でありますように。