ふかふかの夜に。

本業はフリーランスのフォトグラファー。ここを日記のように使っています。誰かに見せたいものじゃなくて、自分が忘れたくない気持ちを置いとくところ。たまに写真や仕事のこと。

そうゆう時間を欲した SOSだったのかもしれない。

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六月、雨の金曜日。

ひと月前に短く切った髪が

結べる長さになった。

..

 

今日は朝から尼崎で撮影。

一緒したのは、3年ぶりに会う

イタチョコラショウさんだった。

ラショウさんと知り合ったのは10年前。

今も本名は知らない。


10年前のその日、

1人で神戸をウロウロしていて

乙仲通りの雑居ビルの前で

ただごとじゃない雰囲気の看板を見つけた。

「むづかしい月」。

(2013年ごろに閉店しています)


階段を昇って示された部屋に入ると

チェコガラスの目が埋め込まれた仮面、

初めて見るガラスペン、月光荘の画材、

鳥の羽のアクセサリーエトセトラ。

 

漆喰の壁に囲まれた店の奥には

明らかに浮世離れしたひとが佇んでいた。

店主のラショウさんだった。

ナオさんという女性も一緒だった。


その店にある仮面や細々した変なものは

ラショウさんの手作りで、

独特の世界観に惹かれてしまって

買い物をしてお喋りをして帰った。

その後、浮かぶ顔の何人かに

ラショウさんの話をしたら

界隈では有名な「色んな意味で伝説の」

ゲームクリエイター兼アーティスト兼

ダンサーだったらしく、

どうしてラショウさんが関西にいるの?

と、何人かの人が、

関東から関西から、はるばる神戸まで

ラショウさんを訪ねて来た。

2011年の関東大震災を機に

関西に来たとラショウさんは教えてくれた。


最近まで、同じく当時ラショウさんを

紹介した友達のヒロセガイさんが

ラショウさんの面倒を見ていた。

ヒロセさんはラショウさんに

自分の仕事のアシスタントをさせて

お金を支払い、ごはんを食べさせて、

暮らすところを提供していた。

 

というのも、ラショウさんは

素敵なアーティストだけど

誰がどこから見ても社会には不適合で、

基本的にお金がなくて

女好きで繊細で見栄っ張りで優しい

愛すべき芸術家。

 

いつも何頭もの保護犬と暮らしてる

面倒見の良い優しいヒロセさんに

ラショウさんを紹介したことは

時々、少し、すみません、と思う。

今日、ラショウさんと

久しぶり、と言い合って撮影を終えて、

その足でふたりの共通の知り合いの店

中津のンケリコさんにお茶をしに行った。


カウンターでケーキを食べながら、

今はナオさんとふたりで

田舎に古民家を借りて、

インドのタラブックスのような

場所を作って

シルクスクリーンで絵本を作ろうと

構想してると教えてくれた。

 

2000年に出版した「イタチョコ本」の

続編も執筆中で、

ルクセンブルグ芸術祭に

出すための作品を作っているとも。

しごとは、ホームページをつくったり

ウーバーイーツの配達をしたり

してるそう。

 

いつも、生活のことよりも

創作活動を軸に生きてる姿を見ると

いいなぁと思う。

ときどき会えると楽しいな、と

都合よく思う。


ンケリコのおふたりにも素敵に

近いものがあって、

余談だけど中津の商店街にある

ンケリコの内装や外観は

すべてヒロセさんが作った場所で、

天井にはクジラが泳ぎ

漆塗りのカウンターはアーチを描いて、

お手洗いは金色の空間。

外観はステンドグラスで出来てる。

なんだか空間や全てを引っくるめて

実家に帰って来たような感覚に

なっていた時間だった。


じつはここのところ数日前から

体がとにかく怠くて、精神的にも

自己嫌悪の塊みたいになってて

ダメだった。

ホルモンバランスには敵わないや、

と、湯舟で白旗をふってた今朝。


とうとつに午後から体調が良くなって

日記かこう、と思えるまでになったのは

ンケリコさんでの時間が

あったからかな?と

書きながらなんとなく思った。


言語化できてないような忘れては

いけないことを

忘れかけてたのかもしれない。

何者でもなかった十代のころに

出会って関わった人たちとの時間。

そうゆう時間を欲した

SOSだったのかもしれない。

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